NEVERS
ヌヴェール
<旅のメモ>

2018.09.02

 Biobracteから1時間半でNeversに到着。人口3.5万人の小さな町で、人影の少ない閑散とした感じの町です。古代の名はノウィオドゥヌム (Noviodunum) といい、後にはこれがネビルヌムと変化したものです。5世紀にはキリスト教の司教座がおかれ、14世紀にいったん大学が設けられましたが、この大学は後にオルレアンに移されました。

 今夜の宿はAbbaye de Saint-Gildard(サン・ジルダール修道院)内に併設された公共の宿でBooking.comでも予約できます。ほとんどの部屋はシャワー・トイレが共同利用です。我々は全体で10部屋もない豪華版のシャワー・トイレ付きのツインルーム。と言ってもベッド2台の上にバスタオルがおいてあるだけ。TVも湯沸かしポットも、何にもありません。

Espace Bernadette Soubirous Nevers
34 rue Saint Gildard, Nevers, 58000
+33 3 86 71 99 50
EUR72night (incl. Tax & BF)

 NeversはLourdesの聖女Bernadetteのことを知っている方にはよく知られている町です。1844年生まれの聖女Bernadetteは1858年に仏南西部ピレネー山脈の麓にあるLourdesの洞窟で聖母マリアのお告げを聞きました。その8年後にLourdesを発ち、35才という若さで短い生涯を閉じるまでの間を過ごしていた町だからです。聖女Bernadetteが過ごしていたAbbaye de Saint-Gildard(サン・ジルダール修道院)が今夜の宿なのです。ここにはChasse de Sainte Bernadette(聖女Bernadetteの礼拝堂)があります。


Abbaye de Saint-Gildard内の宿泊施設Espace Bernadette Soubirous Nevers

夕食と朝食のための食堂

寝室へと向かいます

回廊を通って

ツインベッドにバスタオルだけ

まるで病院みたいですね

部屋からの眺め

廊下にあった談話スペース

Torre de Hercules

中庭です

Chasse de Sainte Bernadette(ベルナデット礼拝堂)の入口

館内の平面図

宿泊施設での部屋は103でした

宿泊施設の料金表

 修道院の受付で一人3EUROを払って修道院内の観光ルートと説明書を借ります。日本の修道女が翻訳したという日本語版もありました。その案内書の順番に修道院を散策します。

 聖女Bernadetteは1844年に南仏のLourdesで生まれ、貧困のドン底の少女時代に洞窟で聖母マリアのお告げを聞き、彼女が見つけた泉の水で多くの病人が助かった。これによりLourdesは多くの巡礼者を迎えることになりました。

 案内所に従って最初に見たのは、聖女Bernadetteは聖母マリアのお告げを聞いたという Lourdesの洞窟とマリア像の複製です。本物をLourdesで見たことがありますが、良く出来ています。


Lourdesの洞窟とマリア像の複製

Lourdesの洞窟とマリア像の複製

Bernadette像もありました

 Lourdesでの連日の訪問者に好奇の目に晒されて悩んでいたベルナデットは、ヌヴェール教区の司教(幕末に日本での布教にる予定だった)の誘いを受て1866年にこの修道院にやって来ました。次はその修道院の入口です。聖女Bernadetteが初めてここを訪れて修道院の門が開いた時、この風景を見たようです。

 そこから敷地の奥へと進み、庭の奥にBernadetteがLourdesで見た聖母マリアに似ているということで好んでお参りしたマリア像がありました。

 聖女Bernadetteは持病の肺結核や脊椎カリエスといった難病に苦しみながらも、様々な雑用や看護婦としての仕事に従事し、1879年4月16日に35歳で亡くなりました。庭の中央に戻ると聖ヨセフ小聖堂があり、1979年にBernadetteが亡くなった後はここの地下墓地に葬られました。


修道院の入口


Bernadetteが洞窟のマリア様に最も似ていると言ってお祈りしたマリア像

修道院の敷地の裏角にあります

聖ヨセフ小聖堂

聖ヨセフ小聖堂内部

 聖女Bernadetteの死後もLoudesの泉の奇跡が継続するのでその遺体を掘り起こしてみると全く腐敗が進んでいなかった事が判明し、1933年に聖女と認定され、遺体は修道院に付属するChasse de Sainte Bernadette(聖女Bernadetteの礼拝堂)に移されました。

 そのベルナデットの遺体がガラスケースに納められて私たちの目の前にあります。写真は撮ってはいけないのでWEBで見つけた写真を載せます。


<Web>

<Web>

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 夕食は19:30に食堂に行って食べました、8人掛けのテーブルが2卓あるだけ。我々のテーブルはフランス人のおじいちゃんと娘(50歳くらい)、フランス人の50歳代のご夫婦、イタリア人の70代前後のご夫婦が一緒でした。一人14.5euroでメロン1/4個、たっぷりのブッフ・ブルギニオンとお米、パン、デザート、コーヒーが出ました。赤ワインは500mlで6euro。テーブルを囲んで知らない皆さんと会話しながら素朴で豊かな時間を過ごしました。


夕食のブッフ・ブルギニオン

これは他の人に出された地元料理

夜の中庭

夕焼けが綺麗でした

部屋にあったBrernadetteの説明

2018.09.03

 朝食も昨夜の夕食と同じ場所です。基本的にパンとバターとコーヒー紅茶のみです


朝食会場へ

質素な朝食

昨夜と同じ部屋

 せっかくなのでNeversの旧市街を散歩してみます。先ずは町のシンボルとなる大聖堂Cathedrale Saint-Cyr et Sainte-Julitte de Nevers。6〜16世紀にかけて建設されているので、ロマネスクやゴシックなど、幾つかの建築様式が混じっています。修復工事中で中には入れませんでした。


Cathedrale Saint-Cyr et Sainte-Julitte de Neversは修復工事中

Cathedrale Saint-Cyr et Sainte-Julitte de Neversの鐘楼

 ヌヴェールは、陶器の有名な産地です。かつて、12の製造所があって、1,800人の職人がいたそうです。柔らかい肌と色彩の、美しい陶器です。

 中世には町は城壁に囲まれており、あちらこちらにその遺構が残っています。


現在の市庁舎は19世紀の建物

陶器工場

考古学博物館

12世紀末の城壁の一部La Porte du Croux

軍事的防衛のために14世紀に追加された前門

城壁の遺構

Tour Goguin

VezlayからSantiago-de-Ciompostelaに向かう巡礼の道がここを通っていました

La Loire(ロワール川)

和食バッフェ Yuriko?

18世紀のAncien Palais Episcopal
 15世紀のPalais DucalはTourist Informationと地下でつながっており、無料で中を見学できます。地下に博物館があるのですが、土台は12世紀の教会だったようです。

15世紀のPalais Ducal

県庁舎の地下の博物館

中世の価値の様子

会議室として今でも公務に使われているようです

Place De La Republique

特別展示
 Turist Office貰った大判の市街地図を見ながら教会を幾つか回ってみました。中世からルネッサンスにかけての幾つかの建造物が残っていて面白い町です。これ以外にも通りを歩いているとオヤッと思う歴史的な遺構があります。

 街ではあちこちで骨董品屋を見かけました。また古い家具、彫刻、道具などを修理する仕事場などもあり、古い物と共存している感じです。


Chapelle Sainte - Marieは17世紀バロック様式

Rue Saint-Martin

Eglise Saint-Pierre de Nevers バロック調なので比較的新しいのでしょうね

11世紀ロマネスク様式Saint Etienne

元は鐘楼が二つあったようです

Saint Etienne内部

Saint Etienne内部

元はこんな立派な教会でした
ロ完璧にマネスクですね

オタク専門店?

古い物を修復する仕事

古い物を修復する仕事

古い物を修復する仕事場

 11時頃にNeversを出て高速道路A77からA6を通って約250km走りました。Parisには午後1時半頃に到着です。