2018.09.02
ホテルで朝食を終えて、再度Abbaye de Clunyへと向かいます。
Abbaye de Clunyは、909年にアキテーヌ公ギヨーム1世により創建されフランス革命まで存続したベネディクト会修道院です。修道院は創建後、ただちに教皇により認可され、初代院長ベルノーは修道生活立て直しのため「聖ベネディクト会則」の遵守を定めました。中世にはCluny改革とよばれる修道会改革運動の中心となり、最盛期には管轄下におく修道院1200、修道士2万を数え、壮麗な典礼をとり行いました。
927年から1156年が最盛期にあたり、5人の高名で影響力のある修道院長を輩出しています。その華美な修道院は、簡素で素朴な自給自足的生活を重んじるシトー会系の修道士などからも批判を受けることになり、Abbaye de Clunyの凋落が始まってゆきました。
Abbaye de Clunyの聖堂は3期に渡って建築されています。第1期のCluny Iと呼ばれる初代の建物は915〜927年に建設された小規模聖堂です。第2期のCluny IIは981〜1040年にCluny Iの横に建設されました。1088〜1130年にCluny Iを取り壊してCluny IIIと呼ばれる建物が建設されます。この拡張工事は13世紀まで行われ、最終的な聖堂の大きさは入口から後陣までの長さが約190m、高さが約40mという巨大なもので、パリのノートルダム大聖堂の長さ約130mを遙かにしのぐ大きさでした。
この修道院はフランス革命によって破壊され放棄された後に、他の建造物の石材供給源になってしまったため、聖堂南側の翼廊の一部だけが当時の姿を残しています。ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂が設立されるまではヨーロッパで最大の宗教建築物であったCluny IIIの面積は10%程度が残っているにすぎません。残された翼廊の一部は国立高等工芸学校(Arts et Metiers ParisTech、旧ENSAM)の校舎として使われています。