BIBRACTE
ビブラクテ
<旅のメモ>

2018.09.02

 Clunyを11時前に出てBirracteへと向かいます。途中、Menhir de Charmeau(Charmot, 71190 Broye)の案内板を見つけて立ち寄ってみました。数千年前の物と推測しますが、民家の道路脇にさりげなく立っていました。


Menhir de Charmeau

Menhir de Charmeau

 Parc Naturel Regional du Morvan(Morvan山自然公園)内にあるBibracteはガリアの主要部族であるハエドゥイ族の主たるOppidum(城塞都市)であり、ガリアでも最重要の城塞都市でした。ローマが来る前のハエドゥイ族の文化は鉄器時代後期のものです。

 紀元前58年のBibracteの戦いで、ローマのGaius Iulius Caesar(ジュリアス・シーザー)の軍隊がBibracteの南16マイルの地点でスイスから流れ込んできたヘルウェティイ族を打ち破ってスイスに追い返しています。紀元前52年、混乱していたガリアにおいてVercingetrixはBibracteでガリア人連合のリーダーとなりCeasarに抵抗しますが、Alesiaの戦いで敗れます。Alesiaの戦いに勝利したた直後にCaesarが「ガリア戦記」を完成させたのもBibracteでのことです。数十年後、ローマは25kmほど離れた比較的平坦な土地にあるAutunを建設し、山間部のBibracteは放棄され、人々の記憶から消えてしまいました。

 近代での最初の発掘は、1867年から1895年にかけてワイン商人 Gabriel Bulliot が行いました。その甥である Joseph Dochelette は1897年から1907年にかけて発掘を継続し、Manuel d'Archeologie という著作を発刊しました。 今日ではMont Beuvray (ブーヴレ山) が一般に古代のBibracteこの遺跡は保護森林に囲まれた考古学的公園になっており、一般向けにガリア文化を解説するセンターと共に若い考古学者の訓練の場にもなっていて、シェフィールド、キール、ブダペスト、ウィーン、ライプツィヒの大学の共同チームによる重要な発掘調査が行われています。


山の中にある近代的な博物館

ガリアの作品

ガリアの村落分布

ガリアの氏族分布

ガリアの作品

ガリアの作品

ガリアの兜

鉄器時代のガリア(ケルト)の彫像

博物館周辺で発掘が続けられています



ローマによる城壁建築


ローマ時代の遺物

アンフォラですね

 次は今回の旅の最終目的地Neversです。