MUSEOPARC ALESIA
アレシア博物公園
<旅のメモ>

2018.08.31

 Parisの自宅を朝7時に出発し、10時頃にMuseoparc Alesiaに到着。

 紀元前54年、ローマの将軍Gaius Iulius Caesar(ジュリアス・シーザー)は、Clermont-Ferrand南部の小高い丘Gergoviaにガリア連合軍を集結させた武将Vercingetorixを攻めきれずに唯一の敗北を喫しました。その後Caesarは体制を整えて各地で反撃し、紀元前52年、ここAlesiaに逃げ込んだVercingetorixを包囲して8万人のガリア連合軍を熾烈な攻防戦の末に降伏させます。これ以降、ガリア(ほぼ現フランス)はローマの支配下に入るという歴史上有名な「Alesia包囲戦」の現場がここなのです。

 Vercingetorixは最後にすべての責任を負うべく礼儀正しい最高の軍装でCaesarの元へと自ら進み出て捕虜となります。Vercingetorixはローマに連れて行かれ凱旋式の見世物となった後にCaesarの名で処刑されます。通常ローマは降伏した敵の武将を殺さず、むしろローマ領内での快適な余生を提供します。しかし、Caesarは彼の類い希なる軍事的才能が再びローマの驚異にならないようにと異例の処刑を命じたそうです。

 結局、負けたガリアはその後、ローマ支配下で他の地域に比べて圧倒的な経済発展を享受します。一方でガリアが失ったものは「自由」でした。Vercingetorixが命を懸けて勝ち取ろうとしたのは経済発展ではなく、民族としての自由だったのではないでしょうか。


再現されたローマ軍の二重包囲網

Museoparc Alesiaはモダンな円形

ガリア軍とローマ軍の戦闘の様子

Museoparc Alesiaから見たAlise-Sainte-Reineの町

ガリア軍の立てこもった丘
 Alise-Sainte-Reineの郊外のローマ遺跡に行ってみました。ガリア軍の敗戦後、ローマ人がやってきてローマ風の都市が建設されてようです。このあたりの石材が柔らかいせいか、かなり朽ち果てています。

Alise-Sainte-Reineの遺跡

5000人収容のローマ古代劇場跡


Basilicaの遺跡

Portico付き商店街の遺跡


これって、アンフォラ(オリーヴオイルなどを入れる焼き物)置き場
 ナポレオン三世が建造したガリアの英雄Vercingetorixの聖堂像のある丘へ。

ガリアの英雄Vercingetorix

ナポレオン三世が建造したらしい

後ろ姿がちょっともの悲しいですね

 次はBesanconに向かいます。