PESARO
ペーザロ

2019.12.26

<概要>

 Pesaroには12時頃に到着しました。気温は11度くらいですっきり晴れた良い天気です。結構肌寒い感じです。今日はクリスマスに続くイタリアの祝日です。繁華街のお店はほとんど閉まっていますが、多くの人々が繁華街を散歩しています。

 Pesaroの人口は約9.5万人と比較的大きめの町です。土着民族ピチェーノ人の土地でしたが、北部からのガリア人に侵略され、その後紀元前184年に古代ローマが入植し、支配下に置きます。ここはRiminiの南東にある港町で、紀元前49年1月10日、国家反逆罪の汚名を覚悟して配下の軍勢と共にルビコン川を渡った古代ローマ共和国執政官Giulio Cesare(ジュリアス・シーザー)がRiminiを拠点に数日の間にPesaro, Fano, Ancona, Osimoを自軍の配下に収めます。今回はこれらの町を訪ねてみます。

<見所>

 Pesaroの旧市街に入ると意外に車と人が多くて、予定した旧市街の中心の駐車場には車を停められず、旧市街の南東にあるParcheggio Piazzale G. Carducciに駐車しました。ここから先ずはPalazzo Ducale(ドゥッカーレ宮殿)へと向かいます。徒歩で10分程度でした。Palazzo Ducale(ドゥッカーレ宮殿)は15世紀後半にMilanのSfolza(スフォルツァ家)によって建てられたルネッサンス様式ですが比較的シンプルな佇まいです。宮殿の向かいはPiazza del Popolo(ポポロ広場)があり、中央には17世紀の海馬とトリトンの噴水がありました。そして広場にはクリスマスの催しが尾を引いていて多くのクリスマスマーケットの露店が出ていました。多くの市民が出てきていて、広場にあるスケートリンクで子供たちが楽しんでいました。


Palazzo Ducale(ドゥッカーレ宮殿)

Piazza del Popolo(ポポロ広場)の17世紀の海馬とトリトンの噴水

Piazza del Popoloのクリスマスマーケット

Piazza del Popoloのクリスマスマーケット

和食店の案内?おにぎり?
 旧市街のメインストリートはVia Gioacchino Rossiniです。古い通りなので道幅が狭くて陽が当たらないのでちょっとうす暗い感じになります。この道沿いには音楽家Gioachino Antonio Rossini(1792-1866:ロッシーニ)の生家があります。"セビリアの理髪師"や"ウィリアム・テル"などのオペラで有名ですね。

音楽家Rossini(ロッシーニ)の生家

音楽家Rossini(ロッシーニ)の生家

音楽家Rossini(ロッシーニ)の生家
 同じく旧市街のメインストリートに面した Cattedrale Duomo Santa Maria Assunta in Pesaro(サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂)です。古代ローマの城壁内に建てられた聖母マリアに捧げるバジリカ教会でしたが、3世紀には司教座として拡大していったようです。1503年にはCesare Borgiaによって破壊されますが、1865年に今の大聖堂が再建される際に900m2という巨大な古代ローマのモザイク床が2点発掘されました。

 イタリアを旅していていつも思うのですが、人口10万人に満たない地方都市でも歴史のある立派な建物が多数存在します。そして人々はそういう建物の間を主に徒歩で生活しています。イタリア人は"パッセジャータ"と言って、お散歩しながら景色を楽しんだり、ウィンドウショッピングしたりするのが大好きです。広場には年配の方々が集まって語り合い、その周りに子供たちが走り回っています。経済的には低迷しているイタリアですが、より低迷しているはずのアドリア海側の港湾地方都市でも人々は自由に気ままに、幸せそうに暮らしています。一つだけ、「自由気まま」とは「自分勝手」ではなく、「他人の自由気まま」にも配慮している「自分の自由気まま」です。両者の「自由気まま」の利害がぶつかったときには話し合いでどうするかを決めます。簡単な会話です。例えば、五人掛けのベンチを三人で占領していた場合、「あたしも疲れて座りたいのでちょっと場所を開けてくださいな。」という感じで、感情的にならずにごく普通に会話をしています。


Cattedrale Duomo Santa Maria Assunta in Pesaro

Cattedrale Duomo Santa Maria Assunta in Pesaro

Cattedrale Duomo Santa Maria Assunta in Pesaroの後陣
 ちょうどお昼時だったのでメインストリートVia Gioacchino Rossini沿いにあるレストランでラザーニャとタリアテッレ、炭酸水1本を頼んで軽く昼食を済ませました。全部でEUR23.00。味は、まあ普通って程度ですね。

Via Gioacchino Rossini
GRA' non solo cibo da cortileで食べたラザーニャ

GRA' non solo cibo da cortile。こちらはタリアテッレ・ラグーソース
 食事を終えて散歩しているとパティセリー(ケーキ屋)から出てこようとしていた年配の男性に声をかけられました。ちょっと汚い身なりだったので物乞いかと思ったのですが、片手に杖を持っていて、目は白く濁っていて見えていないようでした。イタリア語が十分理解できないので片言のイタリア語で「分かりません。」と答えたのですが、今度は英語で「助けてほしい。あなたの右腕に捕まらせて下さい。ちょっと先まで連れて行って欲しいのです。」と言います。自分の財布とか身の回りの貴重品に気を付けながら彼の手を取って私の二の腕を掴ませます。お店の前から10m程ゆっくりと一緒に歩いてとある建物の手すりまで行きます。そこで男性は「ここから先は分かるから大丈夫。親切にどうもありがとう。良い一日を。良い旅を。さようなら。」と言って去ってゆきました。私は再度自分の貴重品があることを確認してから同じように挨拶して別れました。こういうシチュエーションではいつもちょっと悩みます。他人の人助けに乗じて盗みを働く輩が少なくないので。半年前、パリの地下鉄で老人が落とした杖を人って上げたときに、おそらくその背後に控えていた相方に財布をすられました。25年ぶりのスリ被害でしたが、それ以降「困っている人がいても助けるものか!」と憤っていたのですが、やはり困っている人には手を差し伸べてしまいます。

 さて。次はRocca Costanza(コンスタンツ城塞)へ行ってみます。1474-1483年にかけてConttanza Sforza(スフォルツァ家)が建設した城塞です。中には入りませんでした。


Rocca Costanza(コンスタンツ城塞)の前の立ち木、鳩だらけ

近づいたら一斉にエサをねだって降りてきた、ヒッチコックの映画「鳥」みたい

こちらがRocca Costanza(コンスタンツ城塞)