OSIMO オージモ |
2019.12.28 <概要> 小高い丘の上にある人口約3.5万人の小さな町です。紀元前49年1月10日、国家反逆罪の汚名を覚悟して配下の軍勢と共にルビコン川を渡った古代ローマ共和国執政官Giulio Cesare(ジュリアス・シーザー)がRiminiを拠点に数日の間にPesaro, Fano, Ancona, Osimoを自軍の配下に収めます。この町もその一つでした。古代ローマと中世時代の城壁で囲まれた昔の雰囲気を残す町並みです。 そしてもう一つ古代ローマのエピソード。Giulio Cesare(ジュリアス・シーザー)が現フランス・ベルギー・地区を征服した8年間のガリア戦争の間、ずっとシーザーを支え続けた事実上の副官でラビエヌスという名の男がいました。肩書上の副官はローマ貴族の若い子弟だったりしたので、シーザーとほぼ同年齢であっても現場たたき上げのラビエヌスは正式な副官ではありませんでした。しかしシーザーは彼に絶大なる信頼を寄せ、自分のいない場合の戦闘を任せられる唯一の男でした。ガリア戦争を終えてイタリアに戻ったシーザーは上記のように国家反逆罪を覚悟で軍隊と共にルビコン川を越えてRiminiからAnconaに入ります。ここからシーザーはローマ元老院側についた執政官ポンペイウスと対決することになるのですが、ラビエヌスは元々ポンペイウス領地の家臣でした。ローマ時代の紳士協定やものの考え方として、家臣は領主につくことが栄誉あり正しい行動となっており、シーザーはラビエヌスに去就の権利を与え、ラビエヌスは身一つでシーザーの下を去ります。そしてシーザーは彼の身の回りの物を送り届けます。そのラビエヌスの生誕地がこの町です。低い身分の生まれだったらしく生年月日は分かっていません。 <見所> 町の中心はVia Antica Rocca(アンティカ・ロッカ通り)とPalazzo Comunale(市庁舎)があるあたりです。たまたまPalazzo Comunaleでは結婚式の式典が行われていました。Palazzo Comunale内部には古代ローマ時代の彫像12耐と碑石などが展示されています。ポンペイウスの領地だったのでポンペイウスの名が刻まれた碑石も見受けられます。歴史の古い街なので町のあちこちに古代ローマの遺跡があるようです。 |
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ちょっと町の中を散歩してみました。Fonte Magna(大噴水)は紀元前1世紀の古代ローマの遺跡です。 | ||
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Concattedrale di Osimo(大聖堂)は8世紀に建立され、13世紀にロマネスク・ゴシック様式に改修されています。内部には古代ローマから初期キリスト教時代(3〜5世紀)の石板や石棺などが収蔵されています。 | ||
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