2013.08.03
<概要>
ナポリの人口は約100万で、ナポリ都市圏の人口は約300万。古くから過密が社会問題になっている。今日でもカモッラ(ナポリのヤクザ)による影響が強い都市である。ナポリは紀元前6世紀に古代ギリシア人によって建市されました。「ナポリ」の語源はギリシア語の「ネアポリス」(新しいポリス)であり、最初に建設された植民都市パルテノペから数キロはなれた場所に新しく建設された町という意味です。その後、ナポリは長くローマ帝国の支配下にあったが、5世紀に西ローマ帝国が滅亡して以降、東ゴート族やランゴバルド族の支配が及ぶなど流動的な状況となった。7世紀にはナポリに東ローマ系の公国が設置。12世紀にはナポリ公国はノルマン人の手に落ち、さらに神聖ローマ皇帝の支配に移った。13世紀にはローマ教皇の下でアンジュー家がシチリア王国の首都をパレルモからナポリに遷都。15世紀にフランス・ヴァロワ朝のシャルル8世がナポリを武力占領、その数年後にスペインのコルドバ将軍がナポリを征服。1707年にオーストリア・ハプスブルク家の軍隊がナポリに入城し、1734年まで支配が続く。1806年から1815年にかけてナポレオン・ボナパルトの兄ジョゼフ、次いで妹婿のミュラを王に戴き、1816年にフェルディナンドがナポリとシチリアの王として返り咲き、国名を正式に両シチリア王国とした。1860年、両シチリア王国はジュゼッペ・ガリバルディに征服され、翌1861年に成立するイタリア王国に併合。なんとも目まぐるしい歴史が今のナポリの様子を物語っています。
<見所>
さて、いよいよ治安が悪いことで有名なナポリを散策です。荷物を小さいバッグにお入れ替えて、先ずはすぐそばのMuseo Archelogoco Nazionale(国立考古学博物館)へ向かいます。煤けた建物と散乱したゴミ、無秩序な走りの車が治安の悪さを予感させます。中国式に信号を無視して車の流れだけを注意して大きなVia Foriaを渡ると目の前が博物館。Museo Metroと書いてある半地下に入ったら、そこは地下鉄工事中に出土した品物を展示する地下鉄のMuseoだった。無料です。
今度は本当のMuseoに入ります。大きな“ポンペイの赤“の色をした建物です。ポンペイやエルコラーノ遺跡からの発掘品を中心に、膨大な数の発掘品を収めます。ポンペイのファウノ家から発掘された「アレキサンダー大王とダリウス大王の戦い」をはじめ、ローマ時代の彫像、石棺、モザイク画、フレスコ画、ガラス・宝飾品が多く収められています。
今度はベッリーニ広場(Piazza Gesu Nuovo)に行ってみます。オープンカフェが点在し、若い人達が沢山集まっています。もっとも、大学生くらいの若い人達はカフェには入らず、ビール瓶を片手にその辺のベンチやモニュメントの上に座っています。ちょっとゴミの散乱やそこかしこの落書きが頂けませんが、全体としては落ち着いた雰囲気です。柵の中を覗き込むとギリシャ時代の城壁跡があります。
ここからVia dei Tribunaliを東に向かってスパッカ・ナポリを歩きます。ナポリを訪れるなら、一度は見て見たいナポリの下町、通称「スパッカナポリ」。「ナポリを真二つに割った」と言う意味があり、その名の通り、見事に直進する通りが貫く旧市街エリアのひとつで、雑多なカオス・ナポリ がここにあります。中心となるのは、Via Biagio dei LibraiとVia dei Tribunali。この二本の通り周辺に主要な教会が集中しています。頭上に洗濯物がはためく細い路地裏を、数人乗りのスクーターが走り抜ける。観光客が多くて治安の悪さはあまり感じないけど、落書きやゴミは多いですね。
最初に目に付いたのがS. Maria Maggiore教会。紀元は6世紀だが、1653年にバロック様式に改修されている。ファサードのドクロの彫刻が印象的。
さらに東に進むとS. Paolo Maggiore教会が左手にある。この教会はルネッサンス期からバロック期の、ギリシャ−ローマ考古学に関する道筋をたどる観光−文化の証拠(かかせないもの)です。この教会の起源は、ローマ時代の神殿の上にこの建物が造られた8世紀にまでさかのぼります。初期キリスト教時代の教会は何世紀ものちに、数々の、そして目に見える改修をうけました。今の姿は16世紀後半にテアチノ会修道士のために改築されたものです。
次はGirolamini教会。建築群は16世紀に古代ギリシャ・ローマ時代からある「インスラ」(庶民の住宅地区)にサン・フィリッポ・ネリの名で完成しました。
Duomoにはナポリ の守護聖人サン・ジェンナーロを祀る大聖堂。毎年5月の第一土曜、9月19日、12月16日に「サンジェンナーロの血液が液体化する」ミラコロが起きることで知られています。この建築物は、12世紀末にアンジュー家のカルロ2世の意志で、初期キリスト教の古い2つの教会を取り込むように建設されました。その一つ、サンタ・レスティトゥータ教会はDuomoの中に同名の礼拝堂として存在しています。Duomoは1680年に改修され、ファザードは1349年の地震後に1407年に改修、1877年から1905年に行われた改修工事によって、擬ゴシック様式になりました。内部はギリシャ十字設計で、1621年にできた天井は木製で、金箔がほどこされており、3つの身廊は柱によってわけられ、110の古い御影石造りの円柱があります。右の身廊には、17世紀始め、ペストの終焉を願うため建設された聖ジェナンロの礼拝堂があります。内部にサンジェナンロの上半身彫像が乗っている「インブスト」・聖遺物箱は、ゴシック彫刻の傑作で、聖ジェナンロの血(奇跡的に1年に2回溶ける)が保存されている小瓶が入っています。
サン・ジュセッペ・デイ・ルッフィのキオストロ(Piazzetta San Giuseppe dei Ruffi)は17世紀様式で、1604年に修道女になった4人の貴族女性の希望で完成。この建築群にレジーナ・チェリ修道院が併合された1669年の工事により、各側面に5つのアーチがかかっている四角形構造のキオストロが完成しました。
ここから普通っぽい通り、Via dell’Anticaglia、Via Pisanelli、Via d. Sapienzaと西へと向かいます。ここは人影が少なくて、暗くなったらあまり通りたくない雰囲気ですね。そうこうしているうちにホテルのある賑やかなVia S. Maria di Constantinopoliに出ました。
<レストラン>
夕食はVia dei TribunaliにあるSorbilloという有名なPizzeria。8時の開店直後でも順番待ちの人達が無秩序に散らばっている。かまわずお店の中に入って名前と人数を告げると後でスピーカーで呼び出しがかかる。巨大なピザですが、余計な味がしなくて、あっさりして簡単に丸ごと平らげられます。
Pizzeria “Gino Sorbillo”
Via dei Tribunali 32, Napoli
<ホテル>
比較的広いVia S. Maria di Constantinopoliに面している。ゲートの中は中庭のようになっており、その他のアパートや会社もその中庭に面している。ホテルはその中の一つの建物。高い天井にだまし絵が描かれ、室内は広々してスーツケース2個が自在に空けられるスペースがある。幅の広いガラスの机もあってPC操作、書類の整理にも便利。朝食は用紙に欲しいもの(コーヒー、)ジュース、クロワッサン、ジャム、バター、ハム、ソーセージ、卵、などなど盛りだくさんのチョイスがある)をチェックしてロビーの机の上に置いておく。朝食は部屋に運ばれる。ここもB&Bなの通りへのでゲートとホテル入口の鍵を持って出かける。
B&B Belle Arti Resort
Via S.Maria Di Costantinopoli 27, Centro Storico, Napoli, 80138
Tel +390815571062
info@belleartiresort.it
EURO102.00 / night (incl.TAX/BF)