ABRIES
アブリ
2020.07.13-14

<概要>

 Abriesの人口はたったの306人です。アルプスの山中にあって、東に直線距離で約5kmほど先にイタリア国境があります。と言っても車で行けるところではありません。

 Abriesには小さいながら郵便局、TABAC、商店などの施設がありますが、ここを過ぎてイタリア側に行くと小さな民家と宿泊施設があるだけでほとんど何もなくなります。

<ホテル>

 今回泊まったシャレーは比較的小さな家族経営のお宿でした。可愛らしい木造の建物で部屋にはダブルベッドの他に二段ベッドもあり、広い部屋です。道路側にベランダも付いていました。

Chalet de Lanza
Le Bourg, 05460 Abries
+33 4 92 46 71 21
eur89.80/night (incl. Tax) BF: eur9.00


左手奥が今回のホテル

ホテルの部屋はFamily用で二段ベッドもあった

ホテルの部屋

ちょっと狭いバス・トイレ

ホテルのベランダからの風景
<見所>

 何でこんなところまで来たのかというと、紀元前220年頃にカルタゴの武将ハンニバルが兵士5万人と像30頭を連れてスペインからアルプスを越えてイタリアに攻め入った時の通り道が見たかったからです。ハンニバルがアルプスのどこの峠を越えてイタリアに入ったかについては2000年以上前から諸説あり、つい最近でも有力な6カ所が候補として挙げられているだけで特定はされていませんでした。でも2016年4月、その論争についに終止符が打たれました。そう、ハンイバル達は約2200年前にここを通ったのです。さっき通った Lac de Serre-Ponconから冠雪するアルプスを見ながらここAbriesも通ったのです。そしてこの先のCol de Traversette(トラヴェルセッテ峠で現在のフランス国境を越えてイタリアに入ったのでした。(最後に2016年4月の関連記事を転載。)


南仏ArlesからイタリアTurin(トリノ)へと向かったルート、途中にCol de Traversette(トラヴェルセッテ峠)があります

有名なハンニバルの彫像

こんな感じで象とアルプス越えしたらしい

 村内をちょっと散歩してみます。ツーリストオフィス、土産物屋、レストラン、郵便局、TABACなどどれも小さいけれど必要な設備は揃っています。ホテル(シャレー)や貸し部屋、貸別荘などが沢山あります。村のあちこちに案山子のような人形が飾られていたり、ベランダが花で飾られていたり、とっても普通っぽく可愛らしい村です。でも、我々に気づいたフランス人たちはちょっとだけ驚いたような顔をします。


メインストリートRue Centrale

激しい雨が降り始めた

そして急に晴れた

このTABACでCol de Traversetteへの地図と絵葉書を購入

村中に案山子のような人形があります


こんなところにも案山子がいます

<レストラン>

 夕食はホテルのレストランです。地元料理を堪能できました。サーヴしてくれた若い男性が興味津々で「どこから来たの?」と聞くので「日本人だよ。パリに住んでいる。」と答えたら、よっぽど珍しかったのか炊事場に飛んで行って「日本人だって!」、「パリに住んでいるらしいよ!」と早速家族中の人たちに伝えていました。ちょっとほほえましい感じでした。


夕食のメニューはこれを見て選びます

座席間隔の広いシンプルな部屋です

前菜にHaute-AlpesのCharcuiterieとHaute-Alpesの赤ワイン

メインはChamombert aux ognions confitsとBavette de veau

Chamombert aux ognions confitsはシャモンベールチーズとタマネギコンフィの組み合わせ

手作りTarte aux Pommes(アップルパイ)

 今回は全般に天候に恵まれています。山中なので気温は5度程度ですが快晴です。これからハンニバルの越えたCol de Traversette(トラヴェルセッテ峠)に向かって車で行けるところまで行ってみます。


山に上る途中の教会

熊の人形?

TABACで買った<絵葉書>

TABACで買った<絵葉書>
ハンニバル将軍の“アルプス越え”ルートが判明 馬糞の痕跡が決め手に

2016年04月08日 15時13分 公開 [ITmedia]

 紀元前3世紀、カルタゴのハンニバル将軍が“アルプス越え”したルートを、北アイルランドのクイーンズ大学ベルファストなどの研究チームが突き止めた。2000年以上にわたる歴史家の論争に終止符が打たれるかもしれない。

 ハンニバルは、第2次ポエニ戦争でローマ軍と激突したカルタゴ軍の将軍。紀元前218年、約1万頭の軍馬、37頭の象を率いてアルプス山脈を越え、イタリア半島に侵攻した逸話は、古代ローマ史上最大の軍事作戦と言われる。しかし、ハンニバル軍がたどったルートの詳細は不明で、歴史家の間でも意見が分かれていた。

 研究チームは、フランスとイタリアの国境付近にあるトラベルセッテ峠を調査し、軍馬の糞と思われる堆積物を大量に発見した。堆積物を詳しく調べたところ、ハンニバルが侵攻した時期に生きていたクロストリジウム属の微生物を確認し、ハンニバル軍が通過した裏付けと結論付けた。

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クイーンズ大学ベルファストのサイトより

調査の様子