CATHEDRALE DE MAGUELONE
マグローネ大聖堂

2020.02.08

<概要>

 Montpellier空港MPLから車で20分程度。海岸線に長く伸びるEtang(潟)にポツンと立っているCathedrale de Maguelone(マグローネ大聖堂)へと行ってみました。今回の旅の準備のためにMontpellier付近をGoogle Mapで見ていた時、Montpellierの南にある潟の海岸線に丸い土地が水面から出ており、そこに朽ちかけたCathedrale(大聖堂)らしきもの?が見えました。なにゆえにこんな何もない潟の中に大聖堂(位の高い司教の座があるということ)があるのか不思議に思ったので行ってみました。

 周りにはブドウ畑と潟の湿地帯で何もない土地ですが、2世紀ころには土着ガリア人の町があって、それが古代ローマ人によって港町となり栄えた土地のようです。その後6世紀にはキリスト教の司教座がおかれ大聖堂が建設されました。中世初期にはここのMaguelone(マグローヌ ) 司教と領主Guilhemの保護の下での貿易で内陸のMontpellierが発展していったそうです。今は潟の中にある丸い丘の上にポツンと大聖堂が建っているだけです。

 あとで分かったのですが、古代ローマ人がガリア(ほぼ現在のフランス)を支配下に置いた紀元前後に最初にブドウ栽培技術を持ち込んだのは南仏MarseilleやMontperieあたりだったようです。もちろんワイン造りのためです。もしかしたら、このCathedrale de Maguelone(マグローネ大聖堂)の周辺で栽培されている葡萄はその子孫なのかもしれません。

 なぜこんなところに大聖堂があるのか調べてみました。Cathedrale de Maguelone(マグローネ大聖堂)を建設する前には修道院があったらしいのですが、それはCannes沖のIles de Lerins(レラン諸島)にあるAbbaye De Lerins(レラン修道院)を祖とするもののようです。紀元4世紀頃、ローマ帝国の衰退と合わせてキリスト教が興隆します。ローマ帝国の覇権が及んでいた地方で徴税権を握っていた都市部の派遣ローマ高官らは帝国の衰退によって失われる徴税権利を維持するためにキリスト教を取り入れます。キリスト教の士さい司教となることで地域の住民から食料や富を集めることを正当化しました。地方でそれに準ずる権力を有するローマ人は修道院を設立して復権を図っていたようです。Mangueloneの修道院もそんな流れの中で設立され、葡萄や海産物の交易をもって都市部の司教との利害が一致して「司教座の大聖堂」へと発展したのでしょう。[参考:講談社学術文庫「中世ヨーロッパの歴史」堀越孝一著]


両側は湿地帯です

Le Comptoir des Compagnons(修道院付属のレストラン)の周りには地元ワインのブドウ畑

大聖堂の後塵

大聖堂の内部

この土地と大聖堂の由来が書かれている

古そうな建造物の一部

司教のお墓でしょうか?黒猫はおまけ

後陣です

入口の上には立派なロマネスク彫刻

大聖堂のファサード

周囲はブドウ畑に囲まれていました

ブドウ畑に変わった鳥が

そして潟の湿地帯