2019.06.23
<概要>
日曜日に車でParisの自宅から南西24kmのところにある小さな町Villiers-le-Bacleを訪ねてみました。あるとき、フランスのTV番組でこの藤田の家が紹介されていたので以前から気になっていました。
今日から熱波が来て今週末は39度にもなるという予報が出ていて、今日もかなり暑いという感じです。車で30分ほどでVilliers-le-Bacleに到着。人口1200人強の小さな町ですが、そのほとんどは最近の不動産デヴェロッパーによる戸建て住宅のようです。町中には結構立派なフレンチレストランが2軒とコンビニ1軒、家具屋1軒くらいしか目立った商業施設は無いようです。新興住宅地にあるParc Leonard Foujita(レオナール・フジタ公園)に車を停めて昔の街道らしきRoute de Gifに出ると藤田の展示館と藤田の終の棲家がありました。
最初に展示館に入ります。平日は午後のみ事前予約があれば入館可、土曜日午後は予約なしでも入館可、日曜日午前と午後は予約なしでも入館可というシステムです。入館料は無料でした。地域振興に熱心なEssonne県知事が支援しているのだと思います。展示館を見終わるとスタッフが「5分後にFoujitaの家を案内するよ」と言われたのでもう一組いたフランス人の年配ご夫婦と共に藤田の家をガイド付きで訪ねました。写真は不可です。藤田は、喧噪激しく、何でも高価格で、恐ろしい(藤田の発言)パリから離れて知り合いの紹介で1960年にこの家を購入しました。1年かけて改装し、地上階は居間と寝室、地下階はキッチンとダイニング(傾斜地なので裏手は庭に直結)、1階(日本式2階)はアトリエになっていました。彼が羽織ったマントや履いた靴、絵の具などの画材、キッチン用品(40-50年前の手動かき氷機なども)、衣類など色々とあって、所々に日本語の表記があったり、ああここに藤田が暮らしていたのだという実感が湧きました。同時に、その時代、パリから離れたこんな田舎でどのような暮らしをしていたのだろうかと思いを巡らせました。
藤田嗣治(Tsuguharu Fujita/Leonard Foujita)。1913年に27歳でフランスに来て絵画を学びます。南アフリカを経由して1933年に帰国した後は軍の命令で第二次大戦戦渦喧伝の絵画を描きますが、戦後1949年にはフランス・パリに戻り、1959年にReimsの大聖堂で君代夫人とともに洗礼を受けます。そのときの代父はシャンパン・メーカー、マムの社長であるルネ・ラルー(Rene Lalou)。Villiers-le-Bacleに住んでいた1966年初夏、80歳の藤田は礼拝堂内部のフレスコ画に着手。全部で200m2にもおよぶ空間をわずか90日間で仕上げました。正面の壁画にはキリストを抱いた聖母が描かれ、その右側のサインの部分に君代夫人が描かれています。藤田は1968年、82歳でスイスのZurichにてガンで死亡し、Reimsの礼拝堂に葬られました。君代夫人はVilliers-le-Bacleを藤田の展示館にするべく努力してから日本に帰国し、日本でも藤田の作品を国立東京美術館、ポーラ美術館、Reims美術館などに寄贈し、2009年4月、98歳で逝去され、最愛の夫が眠る礼拝堂右側、≪最後の晩餐≫の絵の下に葬られました。