SAINT-DENIS
サンドニ

2019.06.02

<概要>

 日曜日にMetro(地下鉄)を使ってParisの真北4kmのところにあるSaint-Denisに行ってみました。今日は快晴で季節外れの30度超えの気温で暑い日でした。Saint-Denisは移民が多くて治安が悪いとのもっぱらの評判でしたが、観光客も沢山いてあまり危ない感じはしませんでした。確かにアフリカ系の黒人やイスラム系の人達が過半数を占めていますが、モダンなショッピングモールがあったり、カフェやレストランが並び、町並みもごく普通の感じでした。

 Saint-DenisはParisの18区に接した北側にあり、以前から貧困層や低所得者の集まるスラム化した工業都市として問題を抱えた町でした。でも2004年以降、町は緑化されたり、モダンな建物が建設され、大企業が進出し、移民とフランス人とのMIX(混合)をはかっているようです。人口は以前より増えて人口11万人です。

 町の名前の由来にはとても興味深いものがあります。ローマ帝政時代の3世紀にガリア(現フランス)にキリスト教の教えを広めるためルテティア(現パリ)へたどりついたイタリア人宣教師団の中にSaint-Denisの初代司教となるDenisがいました。Denisはモンマルトルで迫害され斬首されたのですが、Denisは切られた自らの頭部を腕に抱えたまま歩き続け、今の Basilique Cathedrale de Saint-Denis(サンドニ大聖堂)のある場所で倒れ、そこに埋葬されたという伝説です。 

 後世、代々のフランス王、王妃、王子たちが聖ドニの埋葬地を詣でるようになり、歴史ある土地としてSaint-Denis修道院と付属教会が発展していくことになりました。 Basilique Cathedrale de Saint-Denis(サンドニ大聖堂)は歴代フランス君主の埋葬地となり、1966年よりカトリック教会の司教座が置かれてCathedrale(大聖堂)となっています。フランス市民革命(1793年)に斬首されたLouis XVI(ルイ16世)とその妻Marie-Antoinette(マリー・アントワネット)の遺骸はパリ市内のL'Eglise de la Madeleine(マドレーヌ寺院)に葬られましたが、その後、代々王家の墓のある Basilique Cathedrale de Saint-Denisに移されました。彼らのお墓は Basilique Cathedrale de Saint-DenisのCript(地下墳墓)にありました。


Place Victor Hugo

Archives municipales de Saint-Denis

Archives municipales de Saint-Denis

Basilique Cathedrale de Saint-Denis

Basilique Cathedrale de Saint-Denis

入口のタンパンはロマネスクですね

Sevres, Manufacture et Musees nationaux

7世紀のClovis II、12世紀の王族

9世紀のLouis III、8世紀のPepinなど

14世紀のCharles VI、15世紀のCharles Vなど

La Chapelle des Princes(王女の礼拝堂)17-19世紀

若くして死んだMarie-Antoinetteの息子Louis VIIとガラス容器に入った彼の心臓

Louis XIV(ルイ14世)の妻Marie-Therese d'Austriche

Louis XIV(ルイ14世)17世紀

19世紀には尖塔が二つあったのかな?

ロマネスっぽい柱頭彫刻

7世紀からの歴代フランス王の遺骸が納められている

Bourbons(ブルボン一族の墓)

Louis VII, XVI, XVIII(ルイ12, 16, 18世)などのお墓

Marie-Antoinetteのお墓も

Louis XVIとMarie-Antoinetteの彫像

初代フランク国王Clovis I(465-511)など

後陣の聖遺物

身廊とパイプオルガン

Grande Cascade du parc de Saint-Cloud

中にいるのはHenri II(1519-1599)と妻のCatherine de Medicis(1519-1589)



側廊

これもHenri II(1519-1599)と妻のCatherine de Medicis(1519-1589)

建築の変遷

Musee d'Art et d'Histoire de Saint-Denis